好き更新

突然ですが。雲の上の存在とか生きる世界線が違うだとか

その人の存在自体が信じられないってことあると思うんです。

 

でもそんな人に会う機会ができて、実際会ってみてその物体を初めて捉えたとき

すごく胸が苦しくなるというか、ちょっぴり切なくさえなるんです。

これなんなんでしょうね( 笑 )

うまく言い表せないんだけど

同じ人間なんだ、そうかそうか、更新更新

ってそう簡単に脳が働かないっていうか。

読み込むのに時間がかかるっていうか。

これは全然マイナスな感情じゃなくて、ただ自分では処理しきれなくなるんです。

今まで、違う次元の違う生き物として制御されていた存在が

いきなり自分と近くなって、ついエラーを起こしちゃう感じ。

 

でも面白いのが、もっと好きになっている自分がいること。

以前の好きとは違う、もっと濃い好き。

相手の存在を認めて初めて相手のことがわかって

あの人の纏う空気感に浸って、頬に熱いものを感じて、あの人の中へと落ちていく。

とっても幸せでとろんとする。

 

こんなことを書いてる私のあの人は melanie martinez さん

彼女の曲、最高に sweet で cool なのでぜひ。

 

 

複数形のひとり

私はひとりが好きだ。

特に大学生になってからというもの、ひとりでいろんなことをした。

東京へ出向き、ひとりカラオケで存分に歌い、夜のラーメン屋さんを堪能する。

どこか行きたいところができてもひとり、なにか食べたいものを見つけてもひとり。

高校生の頃、緊張しながら観たひとり映画も今では人と行く方が緊張する。

なんでもひとりでできる気がしてそのうち誰も誘わなくなった。

ああ、いつの間にこんな寂しい人間になってしまったのか(笑)

 

こんな感じで寂しさを感じていた時、一つの言葉が耳に止まった。

「人は自分がひとりじゃないとわかった時、ひとりがいいと思う」

 

そうか。寂しい人間なんかじゃないじゃん。

私の周りにはちゃんと人がいて、そのなかで私は今日も生きている。

人は本当にひとりになった時でもひとりがいいと思うのだろうか

そしたらその時が一番寂しい人間なのかもしれない。

 

 

人間関係は厄介で面倒で断然ひとりがいいって思うけど、そんな相手も居なくなって

この世にたったひとりになるとしたら、それは少し怖いことなのかもしれない。

人はみんなどれだけ自分がひとりだと思っていても、それは複数形のひとり。

決して単数形にはなれない。ならない方がいい(気がする)。

逆も然り。

親友だの仲間だの親密な関係であると疑わないあの子も、ただ複数形のひとりでしかない。

私たちは決してひとつにはなれない。孤独で、だけど同じ人間だ。

 

お互い干渉しすぎず、あくまでひとり(仮)の状態をキープしておく。

もし本当の寂しさを感じる時が来たら、その時だけは嫌いなあの子も

今まで幾度と悩みを抱えながら人生の荒波を乗り越え、今現在も進行形で精一杯生きている同じ人間なのだと

そうやって寂しさを紛らわせるとしよう、そう思った。

 

その瞬間までは不完全なひとりを思いっきり楽しむゾ!!

 

 

 

かわいいもの

 

かわいいものがだいすき

みているだけでときめいてまるで恋に落ちたような感覚になる。

 

最近だと印象派の画家としても有名なピエール=オーギュスト・ルノワールが描いたレースの帽子の少女という作品が私の心を射止めた。

淡いタッチで描かれたなんとも言えない儚さを感じさせる本作は思わずその場で立ち止まって魅入ってしまうほど素晴らしかった。

その場を離れては時間が経つと戻ってきてしまうその不思議な中毒性に何度魅了させられたことか。

 



常にかわいいを追い求めているこの頃。

思えばいろんな「かわいい」に恋してきた。

世界は意外とかわいいもので溢れている。

17時頃突如現れるぴんくの雲、かわいいお洋服についてるかわいいタグ、ラテに乗っかってるメレンゲのわんちゃん。

みんな愛らしい、かわいい。

 

 

 

 

 

 

 

 

悲観思想(仮)



映画を観ていて不意に涙がでた時、それがいちばん幸せ。

あとあと、背筋がゾッとなってこういうことだったのか〜ってなる時、それも幸せ。

それぞれ受取手に響く感情には個人差があって、私はめっぽう悲観的なものに弱い。 

生きてれば辛いことがあるのはあたりまえだし、悲しいフリってしないけど楽しいフリはしょっちゅうするでしょ?

嬉しいことには期限があるし、最終的には悲しみにたどり着く。

生きることでさえ最期に死が待っているのと同じで。

そんな感じで本能的な部分に心を揺さぶれるのがたまらなく好きである

 

 

 

 

私がいままでに泣いた映画がいくつかある。

ひとつめは「博士の愛した数式

あまりにも美しくて優しすぎるから流す涙はほんとうに温かい。じんわり熱を感じる。

博士を演じる寺尾聡さんの演技がもう、、、。(だめ)

私が思うに、あるいっときを振り返る儚い系は今ではもう味わうことのできないノスタルジーさに涙腺がやられるので危ない。

ふたつめは「テラビシアにかける橋」。

主な登場人物はある少年とそこへ転校してくる少女のふたり。

この少女の役を演じているのはチャーリーとチョコレート工場で金髪ボブに青ジャージが印象的だったアナソフィア・ロブちゃん。(めっちゃかわいい)

簡潔にいってしまえば、 ふたりの関係性 + ストーリー 100点

まだ幼い男女の関係って曖昧だけどストレート。

恋愛感情とかまだよくわからないけどとても大事でかけがえのない人。

恋人関係なること自体発想にないというか、そんな表立てがなくとも感情がむき出しな感じ。

うまく説明できないけど

もしあと少し大人になったら恋愛関係に発展しなくもないであろう、1番の親友

それが子供ゆえの最上級の表現。この関係の曖昧さが心底尊かった。(伝わってほしい)

そもそもなんでこの映画で涙を流したかのポイントについてはあえて触れないことにする。ぜひ観て確かめてほしい。

(まだあるけどここではここまで)

 

 

人生には終わりがあるからこそ生きているこの瞬間が輝くという考えがある。

もし終わりなくずっと生きられたなら、毎日同じことの繰り返しで、そしてそれは目標や希望を奪い、

生きている理由さえも分からなくなって、やがて自ら死を選ぶことになりかねない。

悲しみはこの世の秩序に深く関与しているのかもしれない。完全になくなってはいけないものなのかも。

こんなことを考える私はなかなか人生を悲観的に捉えようと必死だが、これはポジティブなネガティブ。

悲惨で残酷であればあるほど、魅力的と捉え、人生輝いてると捉えてみる。

無論楽しい方がいいに決まっている。嬉しいことの方が人生多くあってほしいと願ってる。

でも、悲しみは人生のスパイス。ちょっぴり刺激的な悲しみが今を生きてるって実感させてくれる気がする。

これを私は悲観思考(仮)と命名する。

だからあえて自分から悲観的に考える。自分自身で心揺さぶらせて。

 

 

 

好き避けをしてしまうおんなの子の恋愛ものがあればとずっと思っていた

 



好き避け*1してしまうおんなの子がする恋愛はとても厄介だ

そのそっけない態度の裏には今にも締め付けられそうな胸の痛み(動悸)を隠してるかもしれないし

あの変わりない笑顔の裏には今にも溢れそうな涙をどうにかこらえてるかもしれない。

「好きという感情を好きなひとにバレてはいけない」というのはとてもつらくて悲しいことだから。

*1:好きだと気づくとその気持ちを隠すように避けたり、気持ちとは反対に冷たい態度を取ったりすること

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くり返す主人公たち

 

Eternal Sunshine of the Spotless Mind 

映画 エターナル・サンシャイン の冒頭シーン。

初めてみたとき一瞬で心奪われた。

 

youtu.be

スローテンポのテーマソングに主人公の動きがよくマッチしている。

まだ始まって数分なのに余韻を感じさせるこのシーン。

最高にお洒落な物語の始まりだと思った。

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