映画を観ていて不意に涙がでた時、それがいちばん幸せ。
あとあと、背筋がゾッとなってこういうことだったのか〜ってなる時、それも幸せ。
それぞれ受取手に響く感情には個人差があって、私はめっぽう悲観的なものに弱い。
生きてれば辛いことがあるのはあたりまえだし、悲しいフリってしないけど楽しいフリはしょっちゅうするでしょ?
嬉しいことには期限があるし、最終的には悲しみにたどり着く。
生きることでさえ最期に死が待っているのと同じで。
そんな感じで本能的な部分に心を揺さぶれるのがたまらなく好きである
私がいままでに泣いた映画がいくつかある。
ひとつめは「博士の愛した数式」。
あまりにも美しくて優しすぎるから流す涙はほんとうに温かい。じんわり熱を感じる。
博士を演じる寺尾聡さんの演技がもう、、、。(だめ)
私が思うに、あるいっときを振り返る儚い系は今ではもう味わうことのできないノスタルジーさに涙腺がやられるので危ない。
ふたつめは「テラビシアにかける橋」。
主な登場人物はある少年とそこへ転校してくる少女のふたり。
この少女の役を演じているのはチャーリーとチョコレート工場で金髪ボブに青ジャージが印象的だったアナソフィア・ロブちゃん。(めっちゃかわいい)
簡潔にいってしまえば、 ふたりの関係性 + ストーリー 100点
まだ幼い男女の関係って曖昧だけどストレート。
恋愛感情とかまだよくわからないけどとても大事でかけがえのない人。
恋人関係なること自体発想にないというか、そんな表立てがなくとも感情がむき出しな感じ。
うまく説明できないけど
もしあと少し大人になったら恋愛関係に発展しなくもないであろう、1番の親友
それが子供ゆえの最上級の表現。この関係の曖昧さが心底尊かった。(伝わってほしい)
そもそもなんでこの映画で涙を流したかのポイントについてはあえて触れないことにする。ぜひ観て確かめてほしい。
(まだあるけどここではここまで)
人生には終わりがあるからこそ生きているこの瞬間が輝くという考えがある。
もし終わりなくずっと生きられたなら、毎日同じことの繰り返しで、そしてそれは目標や希望を奪い、
生きている理由さえも分からなくなって、やがて自ら死を選ぶことになりかねない。
悲しみはこの世の秩序に深く関与しているのかもしれない。完全になくなってはいけないものなのかも。
こんなことを考える私はなかなか人生を悲観的に捉えようと必死だが、これはポジティブなネガティブ。
悲惨で残酷であればあるほど、魅力的と捉え、人生輝いてると捉えてみる。
無論楽しい方がいいに決まっている。嬉しいことの方が人生多くあってほしいと願ってる。
でも、悲しみは人生のスパイス。ちょっぴり刺激的な悲しみが今を生きてるって実感させてくれる気がする。
これを私は悲観思考(仮)と命名する。
だからあえて自分から悲観的に考える。自分自身で心揺さぶらせて。