複数形のひとり

私はひとりが好きだ。

特に大学生になってからというもの、ひとりでいろんなことをした。

東京へ出向き、ひとりカラオケで存分に歌い、夜のラーメン屋さんを堪能する。

どこか行きたいところができてもひとり、なにか食べたいものを見つけてもひとり。

高校生の頃、緊張しながら観たひとり映画も今では人と行く方が緊張する。

なんでもひとりでできる気がしてそのうち誰も誘わなくなった。

ああ、いつの間にこんな寂しい人間になってしまったのか(笑)

 

こんな感じで寂しさを感じていた時、一つの言葉が耳に止まった。

「人は自分がひとりじゃないとわかった時、ひとりがいいと思う」

 

そうか。寂しい人間なんかじゃないじゃん。

私の周りにはちゃんと人がいて、そのなかで私は今日も生きている。

人は本当にひとりになった時でもひとりがいいと思うのだろうか

そしたらその時が一番寂しい人間なのかもしれない。

 

 

人間関係は厄介で面倒で断然ひとりがいいって思うけど、そんな相手も居なくなって

この世にたったひとりになるとしたら、それは少し怖いことなのかもしれない。

人はみんなどれだけ自分がひとりだと思っていても、それは複数形のひとり。

決して単数形にはなれない。ならない方がいい(気がする)。

逆も然り。

親友だの仲間だの親密な関係であると疑わないあの子も、ただ複数形のひとりでしかない。

私たちは決してひとつにはなれない。孤独で、だけど同じ人間だ。

 

お互い干渉しすぎず、あくまでひとり(仮)の状態をキープしておく。

もし本当の寂しさを感じる時が来たら、その時だけは嫌いなあの子も

今まで幾度と悩みを抱えながら人生の荒波を乗り越え、今現在も進行形で精一杯生きている同じ人間なのだと

そうやって寂しさを紛らわせるとしよう、そう思った。

 

その瞬間までは不完全なひとりを思いっきり楽しむゾ!!